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最近、ニッポン放送絡みの一連の出来事を「新世代VS旧世代」の構図であるとする論調が多い。
アメリカとかは、特に新世代側を礼賛しているメディアが多いときく。
ちょっと待った!それはめちゃくちゃだ。断固としてあれを「新世代」として一くくりにして欲しくない。

「旧体制には問題がある⇒その旧体制を攻撃しようとしているから正義だ」というのは、危険な単純化だ。確かに旧体制に問題はあるかも知れないが、世の中問題のない完璧なものなど存在しない。
旧世代に問題があるならば、新世代にだって問題がある。少しでも問題を持つ者を滅ぼすのが正義ならば、大量虐殺は正義になりかねない。

また、旧体制を滅ぼそうとしている側の思想と行為も問題にしなくてはならない。
「旧体制を滅ぼそうとしている」=「善」ではなく、その思想と行動の内容について質的に判断しなくてはならない。
カルトやファシズムも、「反体制すなわち善」とする発想が大きく育ててしまう。
どちらかが正義でどちらかが悪という二元論ではなく、具体的に何が問題で、どうすべきかという議論に集中すべきだ。

確かに新世代側が言っていることのなかには、正しいことも多いと思う。
だからといって、「老人は害だ」「社員をいかに搾取するかが経営だ」「40歳以上の経営者は退陣せよ」等々の暴言を公式に口にするものを、なぜにこの社会は容認してしまうのか?それどころか改革者として褒め称える論調が多いのはどういうことか?
松下幸之助氏や稲盛和夫氏をはじめとする正統派経営者を輩出してきた日本は、一体どうなってしまったのだろう?

仁義、社会貢献、誠実さ、思いやり、人の和、謙虚さ。これらは世界中に共通の価値であり、
古代から現代まで変わらぬ人間としての理だ。
旧体制では、資本主義の原則が貫かれていないというが、資本主義以前の、人間社会としての原則が看過されてはならない。
社会の幸福がまずあって、その上での資本主義だ。マネーゲームを認めるのはいいが、人の道をはずしては本末転倒だ。
古今東西人類共通の倫理を守った上で、資本主義というルールに則って競いあうものでなくてはならない。

諸先輩の方々へ

これまで改革したいと思っていたけどできなかったことを代わりにやっているからという理由で、
諸先輩方がやってこられた正しいことまで破壊するものを、自嘲気味に応援するのはやめてください。
正しいものは正しいし、正しくないものは正しくないという毅然とした態度で私たち若者を指導してくださいませ。
旧世代に問題があるかもしれませんが、それ以上に新世代では気づかない正しい教えがあるのです。




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