この逸話はテナビリティのプラス要因について語るには、まるで絵に描いたような模範例である。
この話の中で、孫さんは目的を達する過程で何度も障害にあっている。いずれも通常人であれば即座に「やっぱりだめだった」と諦めてしまうような障害だ。でも孫さんは、絶対にクリアするという強固な目的意識のもと、一つの方法でだめだったら、次の方法を考え即座に実行する、というサイクルを延々と繰り返す。何回そのサイクルを繰り返しているか、数えてみるといい。あの手がだめならこの手、この手がだめならその手というふうに、成功するまで手を代え品を代えて実行し続けることがわかる。
つまり、あくまで成功することが行動の目的なのだ。
そう言うと当たり前のように聞こえるが、決して当たり前ではない。ちょっと試してみてだめなら「だめでした」で終わる人がいかに多いことか!
「やり方のほうがまずかったのではないか?」「先入観でできないという思い込みをしてないか?」「たまたま、聞いた相手が、充分な根拠もなく適当にだめだと言っただけではないか?」とか、振り返って考える前に、安易に不可能だという結論を出す。
つまり成し遂げることが目的なはずなのに、やってみてできるかできないかの答えを出すことが目的のようになってしまっているの
「やってみてもだめだった」という既成事実とその理由を説明するネタが見つかればそれで終わり。もっとひどいと「不可能だという結論の理由探し」が目的でやっているのではないかと疑いたくなる場合もある。
やるべきことははなんとしても成し遂げろ。だめな理由を一つや二つ聞かされたからといって不可能だと思い込むな。
同じ思い込みをするなら、そんな理由は幻想だと思い込め。ちょっと考えれば何とでもなると思い込もう。いくつ障害があろうと、いろいろな角度から解決策を探って実行する。常にそれを心がけよう。
孫さんのようなレベルまではなかなかできないとしても、せめて少しでも近づこうという気持ちは欲しいものだ。 |