孫正義氏の事例
試験のルールを強引に変更
  孫は検定試験に挑戦することにした。その準備を進めた。
  検定試験は、1日2科目ずつ3日間行なわれる。六教科すべてに合格しなければならなかった。孫はがむしゃらに勉強した。
  が、その当日、配られた問題用紙を見てめまいがしそうになった。
(これは、落ちたな……)
  問題用紙は50ページ、厚さにして1センチ近くある。こんなに大量の試験ははじめてだった。日本で英語の試験といえば、多くてもせいぜい問題用紙が5、6枚程度でしかなかった。その10倍ほどの量を同じ時間で答えろというのである。日本語ならばそれだけの量をこなす自信はある。しかし、単語力のない英語ではどうにもならない。が、一度落ちれば来年の検定試験まで待たなければならない。そんな悠長なことはしたくはなかった。
「試験官!」
  孫は、とっさに手をあげた。持ち前の強引さで、さっそく試験官との交渉に入った。
「ぼくは外国人です。英語を読んで内容をつかむのに時間がかかってしまう。しかも、わからない単語がある。単語がわからないから質問の意味もわからない。単語さえわかれば内容は理解できるかもしれない。単語の意味がわかるように辞書を使わせてほしい。それから、辞書をひく時間がかかってしまうので、時間をある程度延長してほしい」
  試験官は、唇を真一文字にして首を振った。
「それは駄目だ。辞書を使うという前例もないし、時間を延ばすという前例もない」
  が、孫は引かなかった。
「ちょっと待ってください。高校を卒業したぼくの友だちの多くは、アメリカでは日本の高校を終えたということでもう1回高校を受けろとは言われないで大学に入学している。日本の高校を卒業したら、日本の高校の内容を理解しているということで大学に行ける。英語をどれだけ理解しているということではなく、内容を理解しているかどうかで単位を認めるかどうかを判断すると、国際間で決まっているからでしょう。
  だから、これは国際間の考え方の基本的な部分だ。ぼくは日本で高校を終わっていないから検定試験は受ける。でも、日本で受けるのと同じように見なしてくれ。内容を理解するのを確認するための試験なんだから、英語力で劣っているぼくに辞書を使わせてくれてもいいじゃないか。それでも駄目だというのなら、なんで駄目なのかぼくの納得するように説明してください」
  孫は気迫でごり押しに押した。猛虎のように獲物に食らいついたら死んでも離さなかった。
「それは……」
  試験官は、さすがにしどろもどろになった。納得のいくような説明はまったくできない。孫は、あまりにも頭の固い試験官に苛立ちの声をあげた。
「州の教育委員会にいますぐ電話してくれ。あなたの説明じゃあ、まったく納得いかない。もともとあなたはルールを決めた人ではない。州の教育委員会でこのルールはつくられた。あなたはそのルールが正しく運用されているかどうかを監視するのが役割だ。だったら、あなたと議論しても仕方がない。州の教育委員長のところに電話してくれ!」
  孫のあまりの意気込みに、試験官はしぶしぶ職員室に向かっていった。
  試験会場では、何十人もの人が懸命に試験と格闘している。孫は自分の席で試験には手をつけず、試験官のもどってくるのを持っていた。
  十分あまりたったろうか。試験官がもどってきた。孫は駆け寄った。
「どうでした」
  試験官は胸を張り、力強く首を振った。
「やはりノーだ」
  教育委員長の後ろ楯を得ただけに、そう言えばおとなしく引き下がるだろうと自信満々という顔つきだった。
  孫は、ふたたび食らいついた。
「ちょっと待ってもらいたい」
  試験官は眼を見開いた。日本から来た自分の胸ほどしかない小柄な男が、今度はなにを言い出すか恐れにも似た表情に変わった。
  孫は、試験官の腹のあたりを人差し指でさすようにしながらまくしたてた。
「どうやって説明したんです。ぼくが言っているように説明したんですか」
「したさ……」
  彼の自信はいとも簡単に打ち砕かれ、ぶつぶつとなにか言いはじめた。
  孫は、突き刺さんばかりに試験官の腹に人差し指を突き立てた。
「ぼくほどの情熱をもって説明したんですか !」
「………」
「それは、したことにはならない。もう1回行こう、ぼくが説明する」
  孫みずから職員室に乗りこんだ。
  そして、教育委員長に直接電話で、辞書を使わせてほしいこと、時間を延長してほしいこと、という2つの要求を突きつけた。許してくれなければ何時間でも粘りつづける勢いでまくしたてた。
  教育委員長は、孫があまりにも執拗であったためついに折れた。おそらく、孫の英語力から考えてもどうせ落ちると思ったに違いなかった。
検定試験にー発で合格
  孫は、にやりとした。
  延長時間については、ある程度というだけで何時間といった制限はなかった。孫の思う壷だった。
  孫は、そばにいた試験官に受話器を突き出した。
「オーケーが出た。あなたも確認しておいてくれ」
  試験がはじまってからかなりの時間がたっていた。孫ははじめて試験にとりかかった。わからない単語はかなりあった。それをひとつひとつ引いているわけにはいかない。ある程度まで引くと、あとはほとんどみずからの勘に頼るしかなかった。
  午後3時。その日の最後の科目の終了時間がやってきた。ほかの試験を受けた人たちはだれもが席を立った。
  だれもいなくなると、孫と試験官だけが残った広々とした試験会場は静けさにつつまれた。
  どれほどたったろうか。ただひたすらに試験問題と格闘していた孫の横顔に、窓から夕陽が射しこんできた。孫は机の上に置いてあった腕時計を見た。午後5時をすぎている。
  試験官が立ち上がった。なにげなく窓から外をながめるふりをしながら、ちらりちらりと孫に視線を送ってきた。
(まだか。まだか。もういいだろう)
  そうつぶやきかけているようだった。
  孫にはその視線がうるさかった。大きく息を吸いこんで、一気にまくしたてた。
「なにをしているんですか。あなたは教師じゃないですか。学生のぼくがこんなに懸命に取り組んでいるのに、教師のあなたがうろうろそわそわして時計ばっかり見ていると、気が散って仕方ない。黙ってそこに座っていてください。ぼくが終わるまで、あなたは帰ってはいけないんです!」
  試験官は、口をへの字に曲げてふたたび椅子に座りこんだ。
  孫が初日の試験を終えたのは午後11時をすぎていた。ほかの受験生の2倍以上の時間を費やした。食事は昼に食べたサンドイッチ程度だった。飲み物も口にせず、ぶっ通しでひたすら試験用紙に向かっていた。喉が渇き、唇もかさかさに乾いていた。
  試験官は答案用紙を受け取りながら、皮肉っぽく言った。
「ご苦労さん……」
  試験官もそこまで孫に振り回されるとは思ってもいなかったらしい。へとへとに疲れ切っていた。
  が、試験官は翌日からは覚悟を決めたらしい。何冊か小説を持ちこみ、孫が終わるまで読みふけっていた。
  孫は、2日目も午後11時まで、3日目は日付が変わってしまう午前零時まで試験と格闘した。
  それから2週間後、孫が泊まっていた宿舎にー遍の手紙が舞いこんだ。州の教育委員会からの通知だった。孫はさっそく封を切った。
  英語で合格したと書かれているではないか。思わず飛びあがった。
(やった、一発合格だッ!)
  うれしかった。興奮のあまり部屋のなかを飛びまわった。
  もう一度通知を見た。また違った思いがふつふつと沸きあがってきた。
(よくも受かったもんだ……)
  設問はなんとか理解できた。しかし、答えは勘に近いものもかなりあった。
  たとえば、アメリカで歴史の試験といえばおのずとアメリカ史である。日本では世界史の一部で教わる程度のものである。設問ひとつひとつが、孫の知っているアメリカ史の知識とはその理解の深さがまったく違っていた。ほとんど念力と想像力で問題を解決したといってもおかしくはなかった。

【出典】『孫正義 起業の若き獅子』(大下 英治著・講談社)
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